「褒める指導」への不安

[記事公開日]2017/05/30
[最終更新日]2017/06/14

最近の流行の一つに、「褒める指導」があると感じます。最近はどの教育関係の本を見ても書いてあります。確かに、自分も傷つかず、相手も傷つかずという点で、誰しもが納得できる手法だといえます。

でも、私は一部、ちょっと不安です。

 

何を褒めるのか

私は、褒める対象は3つにわけることができると思っています。

一つは「結果」です。

 

結果

テスト結果。業績。順位。結果の多くは数字です。そして…。…そこには、その本人の姿はありません。数字を見て、大人は(上司は)一喜一憂します。

テストで90点の結果を見て、「がんばったね!」というセリフがあります。ちょっと皮肉っぽい言い方しますが、別に90点取ったからといって「がんばった・一生懸命に努力した」証拠にはなりません。

でも、人は数字を気にする…。不思議な生き物です。

 

行動

褒める対象のもう一つは「行動」です。

  • テスト結果を出すために、3時間勉強する。
  • 業績を上げるために、過去の問い合わせ客に再度電話をかける。

上記の「結果」とは違い、そこには子どもたち・部下の姿があります。その行動を観察して、褒めるわけです。

それで褒める気持ちになるのは、指示をする大人や上司の側に成功する体験や納得いく理由があったからです。自分が納得できる方法をやっているから褒める気持ちになります。

「そうそう、その方法をちゃんとやっていればうまくいくよ!」です。

もちろん、英単語・漢字を覚える方法や計算の方法はありますし、多くの子どもたちはそれで結果を出します。でも、その方法が使えるのは物事の最初だけです。一方的な指示はしばらくすると限界が来ます。

なぜなら、人は具体的な行動を指示をされ続けるのが嫌いだからです。

自分の言うとおりにお子さんを動かすことに成功されていますか? 大抵は反発か逃避されませんか?

 

 

相手そのもの

褒める対象の3つ目は、「相手そのもの」です。

うまく言いにくいのですが、「その人自身の全部に対してOKを出す」というものです。それは「自分に考え方や行動が近いからOK」というのではなくて、「その人自身のことを丸々受け入れる」という考え方です。

実はここまでくると、「褒める」という考え方・行動ではなくなってきます。私としては「受け入れる」「認める」という言い方がしっくり来ています。

そもそも、「褒める」という行為は、どうしても相手に対しての評価が入ってきます。「それはOKだけど、これは間違っているからダメ」という評価者による判断です。評価を行動と結びつけると、「OKのところは褒められる」「OKのところがないから褒められない」という思考になります。

「人は褒めて伸ばさないといけない」と考えてしまうと、「間違っているな」と感じた時に、相手に対して嘘をついたり、放置するようになります。「本当は受け入れがたいことだけど…。まあ、OKにしておこうか」という考え方です。

相手を言葉巧みにコントロールして、うまく都合の良いように導こうとする手法もそうです。

 

スマホをいじる子ども

前回のテストで30点を取った我が子が、ソファでスマホをいじりながら寝ているとします。

事実としては、「息子は前回のテストで30点取った」「息子が今、目の前にいる」「息子は今スマホを触っている」です。

でも、これらが繋がって「テストが30点だったのに、スマホをいじってていいの?」となって怒りの気持ちが出てきます。さらに「褒めないといけない」という怒りとの葛藤が出てきます。

でも、事実はただ上記の3点だけです。今後どうするかは、親ではなく子ども自身が決めることです。彼に何がしたいのかを聞くことでそれがわかります。相手に「何をしたいか」「どうなりたいか」を聞くことです。

英信個別ではその上で、子どもたちの考え方を受け入れています。受け入れた上で、疑問に思うことがあれば再び質問をします。

大事なのは、一方的ではない、双方向のコミュニケーションをとることだと考えています。「褒める」とは違う指導です。