「信頼する」ことを自発的な行動にする

[記事公開日]2017/08/31

「信頼する」ってなんだろう

私が以前働いていた会社(塾)は、社員の対人コミュニケーションの研修に大変力を入れていました。いろんな塾がそういう研修を進めているのでしょうが、そんな中でも、かけているコストや時間は最先端を進んでいたと思います。

そこで「信頼する」大切さを学ぶ機会がありました。信頼の構造、信頼の効果…。「だから信頼は大事なんですよー」という話。

これを聞いた私は、これを言われても具体的にどうすることかよく分かりませんでした。「信頼する」ことは確かに大事だとは思う。でも、それってどうすることなんだろう?

文法で説明すると、「信頼する」は動詞ですが、同じ動詞の「歩く」「見る」等とは違って意識して行動できるものではない、と思われたのです。

「宿題を毎回やってこない子ども」「遅刻をしても反省の様子が見られない子ども」を信頼しようと思ってもできる自信が私にはありませんでした。事実、勉強に向き合ってませんから。こっちは懸命に話をしているのに。それを信頼しろと言われても、そういう気持ちが出てこないのです。

「今から目の前の人を信頼しよう!」と思ってもできる自信がありませんでした。

 

自分から信頼を生み出す行動を作る

ある時、一緒に研修を受けていた同僚にそのことを相談すると、こういう返事が返ってきました。

「それなら、芦川君にとって『信頼する』というのは受け身の行為なんだね。」

……。

「受け身の行為」と言われて、考え込みました。確かにそう。そうではある。

でも、自分は信じるという行為を自発的にできないのか。自分から信頼するとしたら、どういうことができるんだろうか…。

そこで、私は、自分に信頼が足りてないなと感じたことがあったときに、「でも、できる。」と呟くことにしました。

 

人は可能性を秘めていると信じること

子どもが「宿題をやる暇がなかった!」と言ってきたとき。イラっとしますが、その気持ちはいったん置いといて、「でも、できる。」とつぶやく。意味としては、「今はまだまだ勉強に向き合えていないけど、でもこの子は必ずできるようになる」。

そうつぶやくと、ほんの少しですが、前向きな気持ちになれたのです。そうか、いつかはこの子もできるようになる可能性を秘めているんだ、と。

「でも、できる」「でも、できる」…。何日も何日もやりました。

そうすると今までとは違うかかわり方が生まれてきました。今までなら、「そんな言い訳するな!」と言っていたのが、「正直に言ってくれてありがとう。お前なら、できるようになるぞ!」と口にしている自分。

もちろん、イラっとする自分がいるのも事実です。それをわかった上で、一息おいてつぶやく。「でも、できる。」

 

「英信個別」の「信」は、「相手を信頼する気持ちを忘れないように」と思って付けています。自分自身への叱咤激励です。