やり切れないものはやらない主義

[記事公開日]2022/01/25

請求書を郵送で送っていますが、その際に私からのあいさつ文を添えています。「あいさつ文」と言うか、随筆、随想みたいな、子どもたちを関わっていて日々思うことや、前職での経験などを綴っている文章です。

今月は「中1、中2生が模試を受けないことが多いから、よっぽどの理由がない限りは受けないと損やで」というような内容を書きましたが、その後、「今度の模試を受けないとしましたが、やっぱり申し込みをします」とか、「『ホラ!先生がこう書いてるから受けなさいよ!』と息子に話ができました」ということを何件か伺うことができました。模試を受けることに対する喜びももちろんですが、私の中で嬉しかったのはたくさん読まれているんだな、ということです。

前職の塾では講師たちが学習記録を文書にまとめて送っていましたが、何人かの子どもたちから、「あれ、お母さん読んでないよ」と聞かされていました。酷いのになると、「届いた封筒ごとそのまま捨ててるのを見た」とも言われました。

読んでいただけるようなクオリティになっていないから、というものあったと思いますが、質を上げるために採用したての講師が書いた報告書に添削をかけまくったところ、3か月ほどしてから「文章力が身についたことは感謝していますが、このまま継続して働くのは厳しいと思ったので退職します」と言われたので、それから添削はほどほどにするようにしました。

講師たちが月末になると子どもたち一人ひとりの報告書を書く。私が漢字のミスや記述ミスがないかを全部チェックする。宛名ラベル作る。郵送のために封詰めする。封詰めしたものがミスがないか(違う子どもたちのところに送っていないか)ダブルチェックする。作成を忘れている講師たちに作成を促す…。月末月初、こういう仕事に追われました(今は形を変えて、もっと楽になったそうです)。

当塾ではいろんな取り組みをしていますが、かわりに「やっていない」「時間を割いていない」ことがあるとすれば、こうした保護者に授業報告書に類するものはやっていません。

「うちの子、塾でちゃんと勉強しているのかしら?」と疑問に思われることがあるかもしれませんが、ここに関わっていくと際限がないんですよね。真面目にやっていても不安に思う保護者はいます。自宅で何時間も机にかじりついている姿を見ないと、成績が上がっていても、不安に思われる人はいます。そういうことを経験したので、この塾では報告書は書かない(書かせない)ことにしています。そこに割く時間があるなら、テスト結果の分析をしたり、学校からもらってきたプリントから問題作ったり、子どもたちに漢字や英単語の小テストの採点するほうがいいなと思っています。実際、成績上がりますからね。

そして報告書業務をしないことで得られるものがあって、それは講師人件費を安くすることができるんですよね。ひいては毎月の授業料を下げることができるわけです。講師たちにしても、月末の報告書がないので、授業が終わればすぐに帰ることができます。私も一枚一枚チェックして、ミスのあるところに付箋貼って「ここ書き直して」なんて指示しなくてもいいわけです。

私は別に「報告書をしている塾が悪い」とか「報告書は無意味」とかを言いたいのではなくて、やるからにはそれなりの覚悟がいるということです。社員や講師に対してそれだけの時間を割く価値があるか、中途半端な内容で送ることになっていないか。私にはその覚悟がないのでやらないことにしている、と言う話です。